阪神淡路大震災の震災体験                               ホーム 閉じる   

1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災の震災体験とそこから学んだことなど
を綴りたいと思います。

《地震発生当日》

阪神淡路大震災は、直下型地震で始めに大きな縦揺れのショックがあったことを
多くの方が覚えていらっしゃると思います。
私は、その瞬間の記憶はなく、気が付いた時にはもう立って避難するどころか、休
んでいた布団から起き上がれないほどの揺れを感じました。
とっさに「奥尻島で起きたような地震がここでも起きてる」と思い、着ていた掛布団
を頭までかぶりました。その後、数秒か数十秒かして箪笥が体の上に落ちてきまし
た。掛布団がクッションとなり、大きな衝撃はあったものの自分の体は大丈夫だっ
たのですが、やはり重さのせいで箪笥を持ち上げて出ることは出来ず、布団と共
に這い出し、当時の家にはあった押入れに入りました。
なんとなく、地震が起きた時には狭いところに入ったほうがいい(広い所よりも、多く
の柱に支えられているから)、ということが頭にあったのだと思います。
しばらくして、揺れが収まった後、真っ暗の中で部屋の壁に沿って歩き他の場所に
いた家族とも顔を合わせることが出来、家族の無事をひとまず確認できました。
ですが、明るくなってから自分の寝ていた部屋を見ると、私が下敷きになった箪笥
は勿論ですが、本棚も倒れ、割れたガラスの破片が飛び散り、本当に足の踏み場
もないような状態で、よくここから無傷で出てこられたと思いました。
最初は恐怖でしたが、揺れが収まってからは何が起きたのか分かっているけれど
理解しきれない状態で呆然としていました。
家族の無事を確認後、ガラスなどで足を怪我しないよう、スリッパを履いて部屋を
歩き、倒れた家具や物を片付け始めました。
しばらくして電気だけは復活し、テレビを付けたような気もしますが、何が放送され
ていたのかは記憶にありません。それどころではなかったので。
自分の家を片付けつつ、家族が初めて外に出て、周りの状況を確認しながら戻っ
てくると、「近くのお寺の屋根が落ちてぺしゃんこになっていた」とか、そんなことが
現実に起こるのかと思うような事態になっていることに、また驚きました。
その後、テレビでも何度も放送された阪神高速が横倒しになっていることを知った
のはしばらくしてからだったと思います。
そして、片付けをしていると非常用のような音で電話が鳴り、知り合いから電話が
かかってきました。とりあえず、無事を伝え、そのまま片づけを続け、午前中は片
付けで終わりました。と言っても、片付いたとはいえない状態でしたが。。。
午後になって、近くの小学校に自衛隊の給水車が来ると聞き、ペットボトルを持っ
て並びました。2時間くらい待って、一人1リットルの水しかもらえませんでしたが、
みんなが同じ状況なので、それだけでも有難いと家に持ち帰りました。

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